Field Notes

パン屋の2024年問題を定義する。

UTokyo Bakers' Lab

こんにちは。私は日本のパン文化の未来についてずっと考えてきた者です。今日は、「パン屋の2024年問題」について、私なりに感じたことを皆さんと共有させていただければと思います。

皆さんは「物流の2024年問題」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。トラックドライバーの時間外労働に上限規制が適用され、「運べる量が足りなくなる」という社会課題として、ニュースでもよく取り上げられていますよね。でも実は、同じ時代の空気のなかで、もう一つの「2024年問題」が静かに進行していることを、私はどうしてもお伝えしたいのです。それが「パン屋の2024年問題」です。

「フランス的なもの」という誤解の向こう側

日本のパン屋さんって、なんとなく「フランスっぽいもの」と思われがちですよね。でも実際には、日本のパンは16世紀の伝来から始まり、あんぱんのような日本固有の商品が生まれ、技術的洗練を重ねて独自に進化してきた、れっきとした「日本の文化」なのです。その技術は韓国や中国など海外でも受け入れられ、日本式のベーカリーが世界へ広がっています。

ところが今、この文化が「守られる前に拡散してしまう」という危機に直面しています。つまり、日本のパン文化が"日本のもの"としてブランド化されきらないまま世界へ広がり、「これは誰の文化なのか」が曖昧なまま希釈されてしまう危険があるのです。これは一つのお店の損益を超えた、日本の文化そのものに関わる問題だと、私は感じています。

「2024」という年が意味すること

働き方改革により、時間外労働には上限が設けられました。原則として月45時間・年360時間、特別な事情があっても年720時間以内などの制約があります。そして2024年4月、これまで猶予されてきたトラックドライバーなどにも年960時間の上限規制が適用されました。

ここで大切なのは、2024年が「法律が突然すべてを変えた年」というより、法の射程が社会の隅々に"届いた年"として記憶される点です。パン屋さんは運輸業のように直接の当事者ではない場合も多いのですが、労働市場の逼迫、賃金上昇圧力、長時間労働に対する社会的許容の縮小という波は、同じ年に同じ速度で届きます。そしてパン屋さんの場合、その波の上に、さらに別の波——原価高騰——が重なっているのです。

物流は「運べない」、パン屋は「残せない」

物流の2024年問題は「運べる量が足りなくなる」という輸送力の不足として語られます。欠品や配送遅延、運賃上昇という形で、私たち消費者の目にも"見える"問題です。

一方で、パン屋の2024年問題は「利益が足りなくなる」という形で進行します。小麦やエネルギーなどの原価上昇、労働時間の制約と人材不足、そして「焼きたて」を価値とする当日販売モデルゆえに避けられないロス——この三重の圧力の下で、街のパン屋さんが十分な利益を確保できず、閉店や廃業に追い込まれていく。そして、日本のパン文化の多様性や技能継承、地域性が失われていく。

この問題の厄介なところは、倒産や閉店という形で顕在化するまで、社会の視界に入りにくいということです。物流問題が「輸送容量」の危機なら、パン屋の問題は「文化容量」の危機なのだと、私は思います。

ウクライナ戦争と小麦価格という現実

国際的には、ウクライナ戦争の影響で食料価格指数が記録的水準に達し、小麦価格も大きな上昇圧力を受けました。日本国内でも、輸入小麦の政府売渡価格が令和4年4月期に前期比17.3%上昇し、その後も高止まりが続いています。

パン屋さんにとって小麦は主原料です。価格転嫁が遅れれば、たちまち利益が削られていく。「原価」という会計上の数字が、実は文化の呼吸を止めてしまう酸欠のように作用している——そう考えると、胸が苦しくなります。

「人がいない」、そして「育つ前に消える」

パン屋の現場は、早朝の仕込みから焼成、販売まで、労働時間の偏りが避けられません。時間外労働の上限規制は、これまで「長時間で辻褄を合わせていた」経営を制度的に難しくします。

加えて、新卒は大手志向になりやすく、個人経営のパン屋さんには人が来にくい。中途採用は定着や適性の問題を抱えやすく、技能を身につけるには時間がかかる。結果として、"人がいない"だけでなく、"育つ前に消えてしまう"という損耗戦になっているのです。

ロスという宿命

リテールベーカリーは「焼きたて」を価値としています。でもその価値の裏側には、どうしても売れ残りというロスが発生します。ロスを減らすには需要予測や販売データ、製造計画が必要ですが、多くの現場では手入力がボトルネックになっていて、データを活かしきれていないのが実情です。

もちろん、売上や生産性を丁寧に管理し、需要別の生産パターンを用意し、冷凍技術でロスを吸収している素晴らしいお店もあります。でも多店舗化すると入力の負担やマネジメント育成のコストが壁になり、データ駆動の経営ができていない店舗がまだまだ多いのではないかと感じています。

止血と再投資、二段階の設計

では、どうすればいいのでしょうか。私なりに考えた対応の方向性を、短期と中長期に分けて整理してみます。

短期的には、まず「止血」が必要です。需要パターンを複数用意して、店長の判断を「勘」から「選択」に変えていく。入力を自動化して、データを実際に使えるようにする。冷凍技術を単なる保存ではなく、商品設計として体系化する。こうした取り組みでロスを削減し、生産性を上げていくことが大切だと思います。

中長期的には、「文化としての再投資」が必要です。設備投資は高額でも、「文化を残すための機械」として再定義する。新卒・中途・外国人という三本柱で人材を確保し、とくに外国人材については制度・教育・生活支援まで含めた設計をする。データ管理を「冷たい管理」ではなく、職人の勘を次世代へ翻訳する辞書として捉え直す。

そして何より、国産小麦を「文化の素材」として語り直し、日本のパンをラーメンやカレーのように"日本のもの"として世界に提示していくことが大切だと考えています。日本では「ゆめちから」のようなパン向け強力系小麦の品種改良が進み、国産小麦の需要も増えています。食料自給率がカロリーベースで38%という現実を踏まえれば、これは食料安全保障の観点からも意義のあることです。

名札を付けて、旅立たせる

この問題を「パン屋さんの努力不足だ」と片付けるのは簡単です。でもそれは思考停止に等しいと、私は思います。法制度、国際市況、人材市場という外部要因と、当日販売モデル、属人的技能、価格転嫁の難しさという内部構造が、同時に収益性を奪っている。そこを見ずに個人の努力だけを求めるのは、あまりにも酷ではないでしょうか。

最後に、少し皮肉を込めて言わせてください。日本のパンが世界へ広がるのは、本当に喜ばしいことです。でも、名札を付けずに旅立たせてしまったら、帰ってきたときにはもう「誰の子」か分からなくなってしまう。その喪失を防ぐために、いま「パン屋の2024年問題」を語ることが必要なのだと、私は信じています。

私の拙い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。一人でも多くの方が、街のパン屋さんに足を運ぶとき、その背後にある文化や苦労に思いを馳せてくださったら、これほど嬉しいことはありません。